2003年11月24日(月) 12時39分
春秋(日経新聞)
新しい内閣のもとで戦後有数のロングラン政権へ歩みだした小泉政治の手法は、主役のせりふと役者の個性にたよった「劇場政治」と呼ばれる。喝采(かっさい)が続くかどうかは分からないが、芝居の中身を見極める客の眼力が政治の質を決める。
▼社員が視聴者を買収して視聴率アップをはかった民放テレビ局の巨大な社屋に近い一角に、小ぶりだが瀟洒(しょうしゃ)な劇場が生まれた。今年創立50年を迎えた劇団四季が、そのルーツにあたる築地小劇場の理想を継承して開いた「自由劇場」。柿(こけら)落としのジロドゥ原作『オンディーヌ』は華やかで観客をうっとりさせた。
▼「当たりなくして演劇はない。大衆の同意こそ芸術の唯一の目的だ」。フランスの演出家、ルイ・ジュヴェの言葉を引用して、主宰者の浅利慶太氏はミュージカルなど多くの人に親しまれる舞台を手がけてきた半世紀を振り返っている。企業組織による劇団運営など、芸術と娯楽をつないだ険しい歩みを想像する。
▼日本でテレビの放映が始まったのもちょうど50年前である。こちらは娯楽メディアとして規模が拡大するにつれて、視聴率という怪物が制作現場を支配し、数字が独り歩きして番組の質を劣化させている。視聴者という観客の感動や夢を見失った巨大組織の病は、数におもねって実は大衆を軽んじた結果でもある。
http://www.nikkei.co.jp/news/shasetsu/20031124MS3M2400R24112003.html