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司法による問題解決が重視されるこれからの時代は、細かな法律知識偏重ではなく、法的素養を基礎にバランスの取れた判断のできる、実務能力を持った多様な法曹が大量に存在しなければならない。
そうした法律家は本を読んでも育たない。さまざまなバックグラウンドを持つ学生が集まり、学生同士、あるいは教員と議論しながら学ぶことが大事だ。当然、一講座の学生数は少なく学費は高くなるが、司法改革の要だ。国は奨学金などの財政支援を惜しんではならない。
その一方で司法試験は、基本的な法知識は必要だが、健全な市民常識に基づく柔軟な発想のできる人なら合格できるよう変える必要がある。
今回、文部科学省が問題のある大学院も認可したのは評価できる。既存の権威による厳しい選別は多様性の芽を摘んでしまうからだ。
しかし、現実にはつじつまを合わせただけで何の特徴もない大学院が皆、認可されながら、個性的だが認可されなかった大学院がある。いわゆる司法試験予備校と提携して不認可になった龍谷大大学院は、国際人権法、IT法など意欲的なカリキュラムを組んで高水準の教授陣をそろえていただけに惜しい。
教育にかける情熱や教育技術に関する限り、予備校教師は彼らを目の敵にする大学教員の比ではない。寄りかかりすぎてはいけないが、予備校の蓄積を生かす工夫も必要だ。
認可校には危ういところがたくさんある。特に、専任二十六人のうち十人が六十五歳以上など教員が高齢すぎる大学院が多い。いかにも「かき集めた」という感じだ。
対話型のロースクール教育は知力だけでなく体力も求められる。本気で新しい教育をする気があるのか、設置大学の姿勢が問われる。
ほとんどの非有名大学は法科大学院を看板に法学部志願者を確保するのが狙いだ。母校の法科大学院に進めない有名大学卒業生の受け皿になることをもくろむところもある。
法科大学院さえ卒業すれば司法試験に合格するかのような幻想が広がっている。学生が惑わされないように、第三者機関によるきちんとした評価で、水準に達しない大学院の早期退場を促さなければならない。もちろん評価機関は客観、公正を確保するために複数必要だ。
http://www.tokyo-np.co.jp/00/sha/20031122/col_____sha_____003.shtml