2003年11月06日(木) 15時36分
社説2 裁判官国民審査を身近に(日経新聞)
いま家庭に配られている最高裁判所裁判官の国民審査公報が、少し変わった。審査を受ける裁判官の顔写真が載り、内容も長めになった。
「実質的な判断を国民ができるように情報の提供を充実させるべきである」という司法制度改革審議会の提言を受けたものだ。総務省が、意見表明は1000字以内と制限してきた政令などを改正し、初めて写真も掲載できるようになった。
一歩前進だが、それでも情報提供は不十分である。例えば、裁判官が出演する「テレビ審査公報」を導入するなど、国民に親しみやすい制度にするために工夫の余地は大きい。
もっと改善が必要なのは、投票の仕組みだ。「×」を付けなければ、「信任」したものと判断される。棄権をするには、その場で投票用紙の受け取りを拒まなければならない。投票の秘密は無いに等しい。
なぜこのような仕組みになっているのか。あまり棄権が増えると、少数の罷免投票が結果を左右することになりかねないという理由からだ。もともと国民審査制度は、明らかに不適格と思われる人物が最高裁判事に任命されたとき解任するリコール制度と考えられている。だから国民審査のたびに、罷免される裁判官が出るのは好ましいとはいえない。
審査公報で泉徳治判事が指摘しているように、裁判所の役割は民主主義のシステムが正常に動いているかどうか見守り、多数決原理が支配する政治の世界で無視されがちな少数派の権利を救済することにある。裁判所まで多数派の意思が支配するようになるとその役割を果たせない。
だからといって、全く形だけのものに終わっているいまの制度はおかしい。裁判員制度を導入すれば、裁判に対する国民の関心も高まる。国民を信頼し、もっと国民の意思が素直に反映する仕組みに改めるべきだろう。具体的には○、×、白紙(棄権)といった方式が望ましい。
国民審査に対する国民の関心は高いとはいえない。だが、裁判所の役割が増すにつれ、この制度の持つ意味は大きくなっている。日本の民主主義の健全な発展のために国民の積極的な参加が不可欠だ。各新聞が工夫を凝らした裁判官の紹介記事を載せている。判断材料になるはずだ。
http://www.nikkei.co.jp/news/shasetsu/20031106MS3M0601306112003.html