2003年10月16日(木) 12時41分
春秋(日経新聞)
ダイオキシンに汚染されたとされる所沢の農産物について、分析した専門家はただ「葉っぱもの」といい、司会者は「野菜」を連呼する。フリップにも野菜の文字。あの日のニュースステーションを見て、ホウレンソウなど所沢産の「葉物野菜」の汚染が深刻だと思わなかった人はよほどのへそ曲がりだ。
▼高濃度に汚染していたのは、何とせん茶だったのに、所沢産の野菜は軒並み価格が急落、農家は損害賠償と謝罪を求めてテレビ朝日を訴えた。1、2審は「報道の主要部分は真実」として、農家の訴えを退けたが、最高裁はきのう、二審判決を破棄、東京高裁に裁判のやり直しを命じた。
▼最高裁の判決の中で注目されるのは、テレビというメディアが持つ影響力を、新聞・雑誌など活字メディアとは違ったものと、規定していることだ。視聴者は音声と映像が次々にもたらす情報を瞬時に理解することを余儀なくされ、意味内容の確認や再検討はむずかしいと指摘している。
▼だから、報道番組でも効果音やナレーションも含めた視聴者の印象を、総合的に判断すべきだという論理である。最近、メディアに対して高額の損害賠償を命じる判決が続き、報道の委縮を心配する声もある。印象だけを理由に、国民の知る権利や報道の自由を制約できるものだろうか。
http://www.nikkei.co.jp/news/shasetsu/20031016MS3M1600S16102003.html