2001年12月17日(月) 00時00分
千石イエス死亡でシオンの娘はどこへ?トラブルもなくクラブは繁盛(ZAKZAK)
昭和事件史の1ページを飾った「イエスの方舟」事件。その主宰者で、千石イエスと呼ばれた千石剛賢(たけよし)氏=写真左=が11日、78歳で死去した。20数人のメンバーを率い、福岡の地に落ちついてから20年余。晩年は同地の繁華街・中洲でクラブを経営しながら、細々と布教活動する生活だった。千石氏は約30人の信者らと共同生活を営んでいたが、大黒柱の“オッチャン”亡き後、信者らはどこへ漂流していくのか。
福岡市中心部から北東へ約20キロ。古賀市のJR古賀駅に近い閑静な住宅街に、千石氏の自宅がある。平成5年から住み、教会やローヤルゼリーなどの健康食品を販売する「シオンカンパニー」も設けていた。
暖房機の室外機が動き、人の気配はするのだが、呼び鈴を鳴らしても応答はない。近所の人は、「千石さんと娘さんら数人が住み、ほかに信者さんのような人たちが出入りしていますが、ふだんから、中にいるのかいないのか分からない。近所に迷惑をかけたり、トラブルになったことはないのですが…」という。
住民の多くが似たような反応で、千石氏の死去についても「新聞で知った」と口を揃えた。
一方、中洲のクラブ「シオンの娘」=同右=も、千石氏が死去した11日ごろから閉まったまま。ここでも特にトラブルはなく、交流も少なかった。
近くの店主は、「亡くなる数日前に店の前で会い、『寒くなったね』などと言葉を交わしたが、特に変わった様子はなく元気そうだった」と振り返った。
店は繁盛していた。訪れたことのある地方議員によると、店内では宗教の話はなく、日本舞踊などのショーが見られた。普通のクラブと違うのは、ホステスが隣に座ったり、同伴やアフターも一切ないこと。セット料金だけで8000円と高いせいか、客は弁護士や医者が多かったという。
「シオンの娘」が入るビルでは約10軒が営業。「『シオンの娘』も店子(たなこ)だったが、2年前に持ち主が競売にかけ、千石さんが買って家主になった。2億数千万円かかったそうで、お金はあったんですね」(飲食店関係者)
千石氏自身はここ数年、心臓などの持病を抱えていたが、元気そうなそぶりも見せていた。
「店には夕方ごろによく出てきて、すぐ帰っていた。車好きで、10数年前には当時人気だったソアラに乗っていたし、最近は外車に乗っているのも見た。でも服装はむとんちゃくで、いつもジャージー姿だった」(別の飲食店関係者)
月に1度、福岡市の中心部などで開く集会にも姿を見せた。今春には「シオンの娘」のビル内に相談室を開設し、毎週日曜には集会を開くなど、地道な布教活動は続けていた。
現在も千石氏と行動を共にしていたのは、実の娘3人と養女3人を含む約30人。女性たちはクラブで、数人いる男性たちは建築関係の仕事で働き、千石氏宅や福岡市やその周辺に数カ所の居を構え、集団生活を行っていたとされる。
千石氏に心酔しきっていたメンバー。グループの行く末はどうなるのか。
宗教評論家の丸山照雄さんは、「今までと同じような生活を送っていくのだろうが、求心力のある人を失った場合、集団内にトラブルが起きた際に収拾がつかなくなることがよくある。次のリーダーはいるだろうが、カリスマ性をもった人のあとだけに、しっかりしていないと難しいだろう」と話している。
【イエスの方舟事件】千石剛賢氏が昭和50年ごろ東京で始めた「イエスの方舟」に若い女性たちが次々と入信し、共同生活を開始。53年、「娘を返せ」と迫る家族らから逃れるように、総勢26人で各地を転々。警察も捜査を始め、名誉棄損容疑で千石氏の逮捕状を取ったが、逮捕はせず書類送検。千石氏は、不起訴処分となった。千石氏らは55年、福岡に拠点を移し、活動を続けている。 ZAKZAK 2001/12/17
http://www.zakzak.co.jp/top/t-2001_12/3t2001121710.html
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