東京の大学院生(30)は月2回、池袋の性風俗店へおしゃべりをしに行く。シャワーを浴びてタオルを巻くと、ベッドの端に座って話し始める。いつも指名する女性には、指1本ふれない。
帰り際、彼女は「あなたと話すと、励まされるから楽しい」とほほ笑みながら送り出す。そう言ってもらえるうれしさに比べると、性的な衝動を抑える苦労なんか大したことではなく思える。
初めて来たのは今年の春。あどけなさの残る彼女は、とても21歳には見えなかった。2週間後、恥じらう彼女を前にすると今度は何もする気がなくなった。以来、規定の1時間はこうして過ごす。「満たされない心が満たされる気がする。お金があれば、毎週でも行きたい」
以前から、若者の性を興味本位に取り上げる風潮が腹立たしかったという。しかし、同時にそんな情報に興味を持つ自分がいた。葛藤(かっとう)の揚げ句、興味を持つ自分に負けた。
だれにも邪魔されず、個室で向き合う。裸に近い格好だから、性的なことを口にしても軽べつされることもない。お金が介在してはいるが、恋人気分が味わえる——。一種の疑似恋愛だろう。
東京経済大教授の桜井哲夫さん(現代社会史)は、おしゃべりだけで満足するというこうした男性の心理を分析して言う。「そりゃそうでしょう。肉体的な欲求よりも、精神的な飢餓感の方が大きいわけですから」
桜井さんは以前から若者、特に男性に「深い人間関係を恐れ、生身の自分をさらけ出したがらない」という傾向が強まりつつあると指摘してきた。背景には、幼いころから家族関係が希薄で、人に信頼される体験が少ないことがあるという。だから、他人のことも信頼できなくなる。
その点、性風俗業界の女性なら「あくまでビジネスとしてだが、ともかく生身の肉体関係を通していたわってくれるという安心感に浸れるのではないか」と見る。
「君自身が未熟だから彼女に引かれるのではないか」。この大学院生も、知人にこう指摘されてはっとした。所属する研究室には、同世代の女性もいる。もちろん研究の合間に話はするし、議論を戦わせて充実感を味わうことも多い。しかし、それが恋愛感情に進展したり、彼女たちを付き合う対象に考えたことはこれまでなかった。
「やはり、私自身があまり成長していないからなんでしょうね」
山口みずかというペンネームで知られる女性の性風俗ライター(26)は、疑似恋愛に熱中する客が増えているのは「男性が横着で、手軽さを求めているからだ」と言う。決まった時間帯に店へ行けば、必ず相手の女性と会える。
普通のデートなら、こう簡単にはいかない。出会いの機会はそうそうあるわけではないし、あったとしても自分から努力しないと次に会ってもらえない。
一方、性風俗店の女性の方は、ほとんどがビジネスライクに割り切っているようだ。まれに店外デートに発展することはある。「でも」と、山口さん。
「女の子は店だからこそいい部分だけを見せている。付き合い始めたら、嫌な部分も見えてくる。そんな当然の事態も、こんな客はきっと耐えられないだろう。男性が理想ばかりを押し付けている」。山口さんはこう言ってため息をついた。
「やはり自分も、客の1人に過ぎないのか」。この大学院生も時に、そんな不安な気持ちに陥るという。
彼女は勤めたきっかけや将来の話になると、途端に口ごもる。店の外で会う約束を求めるとその場では応じてくれるが、いつも直前に予定が入ったとの理由で実現しない。両親と住む自宅の連絡先を教えてくれ、店での話の続きを後日、電話でできるのが、唯一の救いだ。
拒絶されるのを恐れ、常に“よろい”をかぶって女性と接する。「そんな付き合い下手の人間がますます増えていく」。桜井さんは、そんな男性のもろさに危機感を抱いている。
http://www.yomiuri.co.jp/feature/sfuukei/fe_sf_19961218_01.htm