電車の中でスポーツ紙を広げる男性がいれば、どぎつい性表現がいや応なしに周囲の人の目に飛び込む。レンタルビデオ店には成人向けソフトが所狭しと並ぶ。
東京学芸大教授の深谷和子さんは「社会全体がどうにかしている。刺激に慣れ過ぎるのは男女とも決して良いことではない」と指摘する。
問題の1つが若者の性的衝動の低下。「想像力が膨らみ過ぎれば、異性とのふれあいには憶病になってしまう。自分の殻に閉じこもって、相手を必要としなくなる恐れもある」。異性を怖がる若者も出ており、深刻だという。
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男性の多くは思春期のころから雑誌やアダルトビデオで性の知識を仕入れるが、それは性交の興味にばかり偏っているといわれる。
「2人の、より良い関係を作ろうという視点が決定的に欠けている。それは女性も同じ」と一橋大・津田塾大講師(性科学)の村瀬幸浩さん。大切なのは相手の身になる、恋愛と快楽を分けて考えない、生きることと性を分けて考えない——の3つのポイントだという。
愛は崇高だが、性欲は下劣と考えられがちだ。「両方を統合していくのが人間的な成熟。性の無知は、互いの行き違いや望まない妊娠を招くことがある。それにはまず、性器の構造や働きの正確な知識が欠かせない」
2人が手を携えて生きていくことは楽しい——と思っているカップルは、セックスを通じて心のふれあいがいっそう深くなる。村瀬さんは「お互いに体にふれあい、戯れあう、プレジャリングをもっと大切に」と提案する。
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日本の夫婦は、子供ができると親の役目を優先する傾向が強い。
セクソロジスト(性科学者)でエイズNGOぷれいす東京代表の池上千寿子さんは「それが問題。親の立場の情報交換だけで済ませ、夫婦間のことはもちろん性のことも口に出さない」と指摘する。
海外の事情にも詳しい池上さんは「欧米では伝統的にコミュニケーション技術の訓練があり、性をコミュニケーションの面から説いた本もある。でも、日本にはどちらもほとんどない」と言う。
コミュニケーションがない日本のカップルが年を取ると、不満が熟年離婚という形で爆発する。「性の問題はすべて2人の関係の中で起きる。話し合いの技術を磨き、自分も変わる勇気をもちたい」
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前東京医科歯科大助教授で現在、東京・銀座で女性のためのクリニックを開いている小山嵩夫(たかお)医師は、更年期障害に悩む人たちを診療している。問診のアンケート用紙で性交痛があるかどうか尋ねるが、痛みの有無を答えず「性交はしない」という答えに丸をつける人も多い。
更年期にはホルモンバランスの変化で、個人差はあるものの性交の際に痛みを伴うことがある。やがてセックスをしないのが当たり前になる。
しかし、実は痛みよりもセックス以前の問題の方が大きい。管理職にさしかかった夫たちはますます仕事の方を向き、子育てが一段落した妻はこれからを考え、気持ちは離れていくばかり。「痛いから」を理由に、肉体的なふれあいを拒否するようになる。
「女性の心身両面の変化に対し、男性の理解があまりに足りない。仕事へのエネルギーの何分の一かでもいいから家庭に向け、老後のことなどを語り合っていかない限り、すれ違いは続く」
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「ポルノによって尊厳が損なわれ、苦痛を感じている女性は多い。それを声に出していかなくては社会は変わらない」と深谷さんは言う。
愛や性、結婚についてどれだけ健康な感覚を持っていくかは、個人のみならず社会の問題でもある。性の風景が、より荒涼としたものになっていくのではあまりに悲しい。
(このシリーズは西島大美、白水忠隆、福士千恵子、永原香代子が担当しました)(おわり)
http://www.yomiuri.co.jp/feature/sfuukei/fe_sf_19960914_01.htm