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1996年09月03日(火) 00時00分

(1)セックスなんて大嫌い アダルトビデオの幻想読売新聞

◆「想像と全然違う」

 「マグロみたいで、ちっとも面白くない」

 ベッドを共にした後、彼からこう言われた。涙が止まらなかった。

 ミニスカートにセミロングヘアのその女性が、ぽつりぽつりと話し始めた。OL、23歳。婚約者がいることは聞いていたが、そんな悲しい秘密があるとは想像もしなかった。取材中にそこまで話す気になったのは、話せば自分の気持ちが少しは楽になると思ったからだろうか。窓の外に、日が沈んでも熱気の残る東京の街がかすんで見えた。

 彼とはそれまでも何回かセックスを経験していたが、彼女はすっかり自信をなくしていたという。セックスで快感があるということ自体がどうしても分からない。自分はセックスに向かないのだろう、とも思っていた。

 しかし、彼の方にはセックスの時「女性はこうする」という思い込みが強かった。大きな声を出すことも、大げさに反応することもない彼女が不満だったらしい。あれこれと工夫しようとするが、彼女には苦痛なだけだった。

 「セックスなんか大嫌い」。吐き捨てるように言った。婚約も解消しようかと悩んでいる。自分のような不感症では結婚生活もうまくいかないだろうから、という。心の傷は大きく、深い。

 神奈川県の21歳の保母も、1人で悩んでいた。「実際のセックスは、想像していたのとは全然違う。自分が悪いのかなあ」

 取材で会った10人近い20代前半の女性が、同じような言葉を繰り返した。

 「頭の中が真っ白になる」「電流がビリビリ流れる」。彼女たちがイメージする絶頂感についての表現も画一的だ。友達の話や雑誌の記事、アダルトビデオなどからそう思っているらしい。「でも、不感症じゃ彼に悪いからビデオを見て勉強して感じたふりをする」(埼玉県のOL、22歳)というのも共通していた。

 男性たちも、別の幻想に苦しんでいる。

 1年前。20代後半の会社員が、神奈川県立厚木病院泌尿器科医長の岩室紳也さんの診察室に現れた。結婚を前提に交際している女性と旅行に出かけたが、セックスできなかった。その後も、失敗ばかり。「いざというと、できなくなる」とうなだれる。

 医学的には問題がなかった。心理的な要因を探るためのカウンセリング中、アダルトビデオに強い執着を示す。「よく見るの?」

 うなずいてから男性が言った。「でも、僕は駄目です。ビデオの男優のようにがんがんできないから」

 「でも、あれは演技だから誇張もあるし、本当のセックスとは違う」と岩室さん。

 すると、その男性は「えっ、あれはうそなんですか」「ビデオとは違うんですか」と繰り返す。ひどくショックを受けた様子だった。

 ビデオは興味をかき立てるために男優も女優も演技がオーバーだし、人によってセックスは違うと一時間近く説明した。しかし、「男はビデオのように女性を満足させなければならない」と強迫観念のように信じ込んできた男性は納得できない顔だった。

 半年後、男性がまた訪ねてきた。相手の女性と結婚していたが、やはりセックスはできない。「妻が待ってくれているうちに」と訴える。しかし、再度のカウンセリングでも実際のセックスがどういうものか想像できないらしかった。「次は奥さんと一緒に」と言ったが、現れない。

 性についての講演をよく頼まれる岩室さんは、会場の若者にアダルトビデオについてどう思うかよく尋ねてみる。見たことがあるのかどうか、中学生は「100パーセント信じる」。高校生は「多少疑う」。大学生以上は一般に「見せ物」と理解している。

 しかし、「映像などを通して流れてくる情報を鵜呑(うの)みにする傾向は年齢を問わず強くなっている」と岩室さんは危惧(きぐ)する。

 1994年に総務庁が発表したアダルトビデオに関する調査によると、中・高生約1900人のうち男子高校生の約8割が見たことがあると回答。女子も4人に1人の割合だった。

 実際の人とのふれあいよりも、まず情報で頭の中をいっぱいにする。セックスも情報化社会の枠外ではない。

 性の解放が言われて久しいのに、性のイメージはかえって混乱している。はんらんする情報の中で自分は正常なのか、他人はどうなのか不安がつのる。現代人にとってセックスは本能でもなく楽しみでもなく、一種のストレスになっているかのようだ。心身ともに癒(いや)し癒されるような関係はもはや不可能なのだろうか。さまざまな風景から性の現在を考えてみたい。

 (このシリーズは西島大美、白水忠隆、福士千恵子、永原香代子が担当します)

http://www.yomiuri.co.jp/feature/sfuukei/fe_sf_19960903_01.htm